たかが私という存在。
当然っちゃー当然なんだけど、
いろんな事が少しずつ起きてまして。
んあー。
「わかんない」とか「出来なかった」ってーのも
記憶のパーツとして埋め込んでおけば、
後でその目印を頼りに「経験してわかった事」を
そこにハメる事が出来て便利なのになぁ…。
何もないとか、全て忘れるより、はるかに有意義。
不安に駆られながら
何故か「不安である事」だけには自信満々で
かくして生き急ぐ人を見てて、ふっと思った。
たかが自分ってゆー「人間」という生物の存在が、
何かを完璧に知る事も、実行する事も出来ないと同時に、
「あれが絶対ダメ」とか「もう無理」とかって
時間的な先も、空間的な先も全部否定しきれる自信もないので。
どうせなら不安に自信を持つより、
自分のやってる事が経験として蓄積されている事実に、自信を持った方がいいと思うなぁ。