個人的PC原点。
それは昔のお話。
長崎屋に行ったら、コンピューターが売られてた。
あにやま、10才頃。
夢のコンピューターは、思いのほか安かった。
約6万円也。
父とワクワクしながら眺めた。
欲しいね、欲しいよね。
お年玉の貯金があるから、一緒にお金出して買おうか。
当時、モニターは必要なかった。
TVに繋げりゃよかったから、14インチだかのTVも買った。
買ってしまった、高価なおもちゃ。
スイッチ入れたら、まっくろな世界。
BASICで、コマンド打たないと先に進めない。
ってーか、何かスクリプト書かないと動かない。
売ってたゲームソフトを買ってきたら
ソフトは、カセットテープだった。
読み込むには、カセットデッキがあればいい。
ピーガラガラ…と音がする。
読み込んだゲームも、
ゲーセンのと比べると、あまりにもだった。
ゲーセンは父に連れられてよく行ってた。
喫茶店のゲームも、よくやった。
ゲーセン並に絵を描いたり(?)
何かを動かすには、マシン語が必要らしい。
BASICはわかったけど、
マシン語は難しくて手に負えないと思った。
数年後、こどもの城でPCをいじったら
マウスで絵が描けるようになってて驚いた。
初めてさわったマウスは、
思うように画面上のカーソルを動かせなくて
苦労しながらも、心の底から喜んだ。
そして、高校進学を検討し始めた頃、
母から聞いたのは、グラフィックに強いと噂の
Macintoshが、工芸高校にあるらしい事。
…いや、逆だったかな。
工芸高校の文化祭だかに行った時、
そこにあるのは、Macintosh IIで
何やらわからんかったけど
後から母が、それはグラフィックに強いと言ったのか。
どちらにしても、工芸高校入学は
私を「PC+お絵かき」の世界へ誘った。
漢字Talk6系だったと思う。
シングルファインダーで、白黒なアイコン達。
FDに絵を保存したいのに、
FDを初期化し忘れたりしてっと
デスクトップに戻らなアカン。
でも、デスクトップに戻るには
一度アプリケーションを終了せなアカンから
それじゃ、まだ保存してない絵はどうするの?って
なんやかんやと苦労したよね。
ソフトは確か、MacPaintから始まって、
MacDraw、SuperPaint、ほんでPixelPaint。
カラーです。カラーですよ。すごい。
PCの担当だった先生が産休でいなくて
代理の先生は、イマイチ詳しくないから
英語版のマニュアルを借りて、
わかんないのに適当に訳してPixelPaintで遊んだ。
そして、1991年9月19日。台風の日。
我が家に Macintosh IIci はやってきた。
StyleWriter、グラフィックカードのヴィマージュ、
キーボード、12インチカラーモニターも一緒に買った。
嬉しくて楽しくて、毎日カバーかけて大事に使った。
同じ頃、バイトしてたドット絵の職場で
マシン語のトラウマがあって断った。(もったいない)
初めて作った HyperCardスタックが「anney's headroom」。
最初は訳わかんなかったけど、
いじくってるうちに、HyperTalk が得意になった。
そして、いきなり無謀にもC++に挑戦し挫折、
RealBasicをいじり、なんかちょっと飽きたり、
AppleScriptもさわって、イマイチ退屈に思ったり、
サイト作るうちに、perlいじってみたり…。
…と、展開していくうちに、いつしか思っていた。
「プログラマーになりたい」
Webデザイナーやりながら、その思いは強くなっていった。
「プログラマーになりたいっ」
でも、職場内で部署移動を、ほのめかしてみたら却下された(笑)
かくして、一から出直して転職。
へなちょこレベル0から、コツコツとperlして。
デバッガーして、phpのソース見て勉強して。
DB初めて使ってみてから、職場移って。
派遣でコツコツ少しずつ、いろんな所でソースを見て学んだ。
でも、まだまだ。
まだまだなんですよ、奥さんっ。
・・・・・・そういう訳で。
勉強したいんですが、ちょっと思う事がありまして悩み中。